最近都在看哲學相關的書,連思考和書寫都有點嚴肅,所以這次想寫點輕鬆的。(昨天還修改了關於《生命中不能承受之輕》那一篇,可是還是愈寫愈沉重的感覺><)
看完《生命中不能承受之輕》後,我回憶起去年捷克旅行時,發生了一件微小卻偶爾在我腦海中浮現的事。
那天早上,我們開車前往特雷津集中營途中,在麥當勞稍作停頓, 吃了早餐。
取餐時我向員工說:Thank you時,發覺對方臉上沒有表情。當時正在微笑的我,頓時變得尷尬。
剛剛還露出笑容的我,在說完Thank you後,嘴角還殘留著有點僵硬的微笑。然後,我開玩笑跟朋友說:「她是不是心情不好?」。
後來在旅程中,因為輪胎損毀,我們去了維修中心買輪胎,接待我們的職員一樣也是毫無表情。
由於語言不通(我們不會捷克語⋯),溝通上有點不順利。我開始害怕,表情平靜得像沉睡火山的職員,會不會覺得不耐煩,下一瞬間爆發,向我們破口大罵。(笑)
當然,最後我們成功克服了溝通問題,買了新輪胎 ,而職員仍然表現冷靜。
 
觀察到捷克人內斂的溝通方式後,我發現到,這種誤解是由於文化差異。(我甚至還疑惑得問ChatGPT 
在英國,無論是打招呼、道歉或道謝,大家都是面帶微笑。在英國生活了一段時間,這個微笑禮儀已經完全融入了我的生活。
回想以前在香港的生活,我幾乎忘記了自己以前跟同事或朋友打招呼時,有沒有面帶笑容。
一直以來,我以為微笑是表達友善的方法。友善對待別人時,也期望著對方善待自己,但當對方沒有用同一種方式表達時,便很容易產生誤會。
習慣了用笑容面對別人時,不知不覺也從對方的表情中判斷對方的情緒或意圖。然而,微笑也是一張面具。譬如說早上在家裡發現昨晚忘了放進冰箱的Häagen-Dazs ,上班後還是要笑著跟同事打招呼。
微笑背後,藏著不輕易透露的情緒,也可能是不想讓別人看透的防線。
我們想讓別人了解自己什麼,臉上就掛著什麼,但那不一定是真實。
 
捷克人用平淡回應我的微笑。
至少,他們沒有勉強自己展露笑容,而是用了習以為常的態度面對生活。沒有多餘或虛偽的表情,或許就是表達尊重別人和自己的一種方式。
英國和捷克的溝通方式,在我內心引起了疑問。生活裡有哪一刻,我能誠實地表現自己的真正感受?
還是,我心裡的聲音,早已被微笑取代了?日常裡希望跟別人真誠交流,但害怕曝露脆弱後,被別人掌握自己。微笑是源於恐懼,還是發自內心的快樂?
疑問使人陷入自我懷疑,卻令人再次認真對待自己和別人。
 
如果再次到訪布拉格的麥當勞,我想我還是會笑著向工作人員道謝。
即使對方沒有笑著回應,接受對方與自己的差異,是誠實面對矛盾的開始。
說不定有一天,我能學會用輕鬆的微笑,承擔人際關係帶來的沉重,又保持自我地活在現實中。
 
(照片是在布拉格查理橋上買的畫。在查理橋走了一回,看了幾個畫家的作品,還是最喜歡這名畫家的畫風。問了畫家有沒有instagram之類,結果他沒有用任何社交媒體,真可惜...)
 
 
最近は哲学の本ばかり読んでいて、考え方も文章も少し真面目になりすぎている気がする。
だから今回は、少し軽やかなことを書いてみたい。
(昨日、『存在の耐えられない軽さ』についての文章を修正したんだけど、やっぱり書けば書くほど重くなっていく感じがする ><)
『存在の耐えられない軽さ』を読み終えたあと、ふと去年のチェコ旅行のことを思い出した。
とても些細なことなのに、時々ふっと頭に浮かぶ出来事がある。
 
あの日の朝、私たちはテレジーン強制収容所へ向かう途中、マクドナルドに立ち寄って朝食をとった。
注文を受け取るときに店員に “Thank you” と言ったら、相手の顔にはまったく表情がなかった。
その瞬間、笑顔だった私は、急に気まずくなった。
笑みを浮かべたままの口元が、少し固まってしまったような気がする。
そして友人に「店員さん、機嫌が悪いのかな?」と冗談っぽく言った。
 
その後の旅の途中、タイヤがパンクしてしまい、修理工場で新しいタイヤを買うことになった。
対応してくれた係員も、やはり無表情だった。
チェコ語が話せない私たちはうまく意思疎通ができず、
私はだんだん不安になっていった。
「この穏やかな顔をした人、もしかして内心では怒っていて、
次の瞬間に爆発して私たちを怒鳴りつけるんじゃないか」と——。(笑)
もちろん、そんなことは起きず、無事に新しいタイヤを買うことができた。
そして係員は最後まで落ち着いた態度のままだった。
 
チェコの人たちの控えめなコミュニケーションの仕方を見て、
このすれ違いは文化の違いから生まれたものだと気づいた。
(あまりに気になって、ChatGPT にまで聞いてしまった)
イギリスでは、挨拶でも謝るときでもお礼を言うときでも、
みんな自然に微笑みを浮かべる。
イギリスで暮らしているうちに、その「スマイルの礼儀」はすっかり自分の生活に染み込んでいた。
 
香港で暮らしていた頃を思い返すと、
職場や友人に挨拶するとき、自分が笑顔だったかどうか、もうあまり覚えていない。
ずっと、笑顔は「親しさを伝える方法」だと思っていた。
人に優しくすれば、自分にも優しさが返ってくる。
そう信じていた。
けれど、相手が同じように笑ってくれないと、
それだけで小さな誤解が生まれてしまうこともある。
 
いつのまにか私は、笑顔を通して人の感情や意図を読み取るようになっていた。
けれど、笑顔もまたひとつの仮面なのだと思う。
たとえば、朝、冷凍庫に入れ忘れたハーゲンダッツを見つけてがっかりしても、
出勤すれば笑顔で「おはよう」と言わなければならない。
笑顔の裏には、簡単には見せない感情が隠れている。
あるいは、他人に自分を見透かされたくないという防衛の気持ち。
私たちは、相手にどう見られたいかによって表情を選ぶ。
でも、それが本当の自分とは限らない。
 
チェコの人たちは、私の笑顔に淡々とした表情で応えてくれた。
少なくとも、無理に笑顔を作ることはしない。
彼らは日常のままの顔で、誠実に生きている。
飾り気のないその態度こそが、
他人にも自分にも正直であろうとする尊重の表れなのかもしれない
 
イギリスとチェコのコミュニケーションの違いは、
私の心にひとつの問いを残した。
——私はいつ、心からの感情を正直に表現しているのだろう?
それとも、私の心の声はもう笑顔に置き換えられてしまったのだろうか。
人と誠実に向き合いたいと思いながら、
弱さを見せることを恐れて、つい微笑んでしまう。
笑顔は恐れから生まれるのか、それとも心の底からの喜びなのか。
その問いは私を少し戸惑わせるけれど、
同時に、自分と他者をもう一度丁寧に見つめ直すきっかけにもなる。
 
もしまたプラハのマクドナルドを訪れることがあったら、
私はきっと、やっぱり笑顔で店員にお礼を言うだろう。
たとえ相手が笑い返さなくても、
違いを受け入れることから、誠実さは始まるのだと思う。
いつか私は学べるだろう。
人との関わりがもたらす重さを、軽やかな笑みで受けとめながら、
自分らしく現実を生きることを。
 
 
(写真はプラハのカレル橋で買った絵です。橋を一回りして、何人かの画家の作品を見たのですが、やっぱりこの画家の画風が一番好きでした。もっと作品を見たくて、画家にインスタグラムをやっているか聞いてみたのですが、まったくSNSは使っていないそうで、ちょっと残念でした…)
 
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